AI神格化に警鐘、その本質は人間のデータにあり
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米メディアWIRED誌は、シリコンバレーでAI(人工知能)を神格化する新たな潮流が生まれつつあると報じました。テクノロジー業界の大物が伝統宗教に回帰する一方で、AIを万能の存在と見なす動きも出ています。しかしこの記事は、AIが神ではなく、その本質が膨大な人間のデータに根差した「人間的な」存在であると指摘し、過度な崇拝に警鐘を鳴らしています。
かつてシリコンバレーでは、テクノロジーそのものが宗教のように扱われていました。スタートアップの創業者は救世主のように崇められ、技術的特異点(シンギュラリティ)が人類を救うという思想が広がっていたのです。これは、懐疑的でリバタリアン的な気風が強いシリコンバレーが、神学に最も近づいた時代と言えるでしょう。
しかし近年、その風潮に変化が見られます。ピーター・ティール氏やイーロン・マスク氏といった著名な技術者たちが、公にキリスト教などの伝統的な宗教への信仰を表明し始めたのです。サンフランシスコでは技術者向けのキリスト教団体が活動を活発化させるなど、テクノロジーと宗教が再び交差し始めています。
この状況下で登場したのが、生成AIです。Waymoの共同創業者であったアンソニー・レバンドフスキ氏が設立した「AI教会」のように、AIを新たな信仰の対象と見なす動きが顕在化しています。マスク氏も「デジタル神に聞けばいい」と発言するなど、AIを全知全能の存在として捉える見方が散見されます。
では、AIは本当に神なのでしょうか。筆者は明確に「ノー」と断言します。その最大の理由は、AIが徹頭徹尾、人間的だからです。生成AIは何十億もの人々が生み出した膨大なデータセットから構築されています。そのため、その出力は時に素晴らしく、時に無意味で、人間の持つ矛盾や不完全さをそのまま反映するのです。
AIが時として驚くほどの間違いを犯すのも、人間と同じです。この「可謬性(間違いを犯す可能性)」こそ、AIが神ではなく人間の創造物であることの証左と言えます。経営者やエンジニアはAIを万能の神と見なさず、その限界を理解した上で、あくまで強力なツールとして向き合う必要があるでしょう。